導べの星 第6話

― SCENE5 アンジェリーク



私は女王候補。
そんな風にいきなり決められて、こんな遠いところまでつれて来られて。


・・・。


ううん、決められたことが嫌なんじゃないの。
特別だよ、って言われて、それはすごく嬉しかった。
そして、頑張る度に、あの人が嬉しそうに微笑んでくれたから。





コンコン。
ちいさく扉を叩く音が聞こえた気がして、そろそろ寝ようとしていたアンジェリークは首を傾げた。

こんな時間に誰だろう?気のせいかしら?

訝しげに思いながら、念のため細くドアを開けて見る。

「アンジェリーク、少々お時間をよろしいですか?」
「ルヴァ様?!どうしたんですか、こんな時間に?」

控えめにアンジェリークの部屋の扉を叩いたのは、ルヴァであった。
時刻は真夜中に近い。およそ女王候補を訪ねる時間とは思えない。
ましてや相手はルヴァなのだ。


「あー、すみませんねー。その…よろしければ森の湖までご一緒して頂きたいのですが」
「今から、ですか?」
「ええ。夜の散歩と言うのもなかなかに乙なものです。…もちろん、責任を持ってこちらまでお送りいたしますよ」

冗談めかして紳士ぶっておどけてみせてみたりして。

「わかりました、ちょっと待っててください。支度してきます」
「はい。ありがとう。お待ちしています」


しばらくして出てきたアンジェリークは、いつもの制服姿ではなかった。
シンプルなワンピースを身に纏ったアンジェリークは、いつもよりも大人びて見える。
制服を着ていないだけで「女王候補」という重い名を背負う少女ではなく、もっと自由に。

彼女は開花寸前の大輪の花の蕾。
なんと匂やかに香りたつことか。
ルヴァは思わず見とれてしまう。


「ルヴァ様、お待たせしました。行きましょ」
「ああ、はい。参りましょうか」


「?ルヴァ様?」
自分のやましい下心を見透かされたような気がして、一瞬どきりとする。

「どうかしました?ルヴァ様?」
「ああ、いえ、なんでもありませんよ。ただ、あなたがあんまり綺麗なのでみとれていたんです」
「うふふ、ルヴァ様ってばいつからそんなにお上手になられたんですか、やだなぁ、もう」
「冗談なんかではありませんよ」

優しい声に宿る真剣な響きに、アンジェリークは思わず赤面してしまう。
ルヴァ様、ありがとうございます。と小さな声で謝辞を告げた後、うつむいてしまった。









森の湖。
この地に暮らす人々はここを「恋人達の湖」とも呼ぶ。
日中はその名の通りカップルであふれ返ることもあるのだが、さすがにこの時間では誰もいない。
夜の森は昼とはまったく違う幻想的な空間であった。

水面には星の光がキラキラと反射し、銀色に輝いている。
聴こえる音は、背後にある小さな滝のさらさら流れる音と、時折吹く風が梢を揺らす音だけ。




…だけど不思議と怖くはないの。この方が傍にいるから…


言うまでもなく、この地は女王のサクリアに守護されている。
危険がおよぶことはありえない。
だが、アンジェリークの安心感はそれだけが理由ではなかった。





二人はしばらく無言のまま、暗い水面を見つめていた。


静寂に耐えられなくなってアンジェリークが口を開く。

「あの」
「アンジェリーク」

言葉が重なる。
まるで今の二人の戸惑いを表すかのように。


「あ、すみません、お先にどうぞ、アンジェリーク」
「いえ、私は静かですね、って言いたかったんだけなんです。ルヴァ様は?」

ルヴァは一瞬とまどった表情を浮かべたが、やがて、決意したかのように言葉にする。

「アンジェリーク…パスハにはまだ告げるべきではないと言われましたが、私は、あなたには知る権利と選択の権利があると思うんです」
「なんのことですか?」
「アンジェリーク」

一旦言葉を切って、金髪の少女の翠色の瞳を覗きこむ。
アンジェリークには、自分の瞳に映る青灰色の瞳が不安と期待に揺れているような気がした。


「あなたは、女王になりたいですか?」
「ルヴァ様?」

どうしたんだろう?自分はなにかいけないことでもしたんだろうか?
…まさか帰れって言われるの?



「私は女王候補です。落ちこぼれで、ロザリアみたいなすごい人にはぜんぜん敵わないかもしれないけど、それでも私は、エリューシオンのみんなのことが大好きです。女王になればみんなのことを幸せにしてあげられるというなら、私は女王になりたいと思います」




本当はそんなのどうでもいい。
私は、ワタシハアナタガスキ。アナタノソバニイタイノ。




心の奥底の叫びを押さえつけて、「女王候補」として微笑む。
もうわかってる。
ルヴァ様が喜んでくださるのは、好きでいてくれるのは「女王候補」アンジェリーク・リモージュ。ただの女の子としては何の価値もないの。


あなたの傍にいられたら。


あなたが、女王になるな、と言ってくれるなら、私は今すぐにでも女王候補を降りるのに。


ジョオウニナンカナリタクナイ!!





「そうですか」
しばらくたってからぽつりと呟くように告げられた言葉。

辺りは暗く、ルヴァの表情は相変わらず読めない。

「あなたの大陸…エリューシオンの住民が、明日の朝早くに中の島に到着します。アンジェリーク、あなたが女王に選ばれることでしょう」

「!!」

「アンジェリーク、あなたはきっと素晴らしい女王陛下になられることでしょう。あなたの白い翼は、大陸の民のみならず、この全宇宙を包み込み、やすらぎを与えることができるはずです」

「ル、ヴァ様…それって…」
「…新女王陛下に、心よりお慶びを申し上げます」

「……私に女王になれって、そう、おっしゃるんですね」
「………あなたは選ばれた方です」
「ルヴァ様、私は!!」

あふれる想いを激情のまま口にしかけたアンジェリークは、しかし相手のあまりに悲痛な表情をみて、そのまま言葉を失ってしまった。






泣いているの?





そのときのアンジェリークの直感は正しかったかもしれない。
ルヴァは涙こそ流していなかったが、心の奥では泣いていたのだから。

アンジェリークは高まった心を静めて、深呼吸して告げる。

「ルヴァ様」
「はい?」
「私、いい女王になれると思いますか?」
「…ええ、もちろんですよ」
「私、女王になります」

その言葉には、既に女王としての威厳が備わっていた。





女王ニナンカナリタクナイノ。
ダケド、アノヒトトズット一緒ニイタイノ。
コウスルシカナイ。

そう、こうするしかないの。

だから、私は女王になる。









翌朝、新しい女王とその補佐官の決定が公示された。
第256代女王の名はアンジェリーク・リモージュ。
その補佐官の名はロザリア・デ・カタルヘナという。  (続く)





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作者より
とうとう書いてしまいました。
ずっと書きたくて、書きたくてしかたなかったシーンの一つです。
書いている間中、ルヴァ様が不憫で、泣けてきちゃいました。かわいそう、ルヴァ様(って誰のせいだよ)

これでやっと折り返しくらい、かな?
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