ここに在る意味      はな様





「行ってしまったのですね。」

先ほどまで空を覆っていた禍々しい暗雲に亀裂が入り、そこから金色の陽光が一条、二条と差し込んだかと思うと、あっという間に目映くきらめく青空が広がった。眩しさに思わず手を翳しながら空を見上げ、幸鷹は誰に言うともなしに呟いた。
「はい、行ってしまいました。」
すぐ近くから返ってきた相槌にその主を求めて振り向くと、幸鷹の後ろで黒龍の神子、平千歳が同じように手を翳しながら空を見上げていた。
見まわすと、他の八葉や紫、深苑も同じように空を見ている。いや、たった一人を除いては。

あぁ、神子殿は彼を連れて行かれたのか。

口の端にほんの一瞬、自嘲とも諦めともつかぬ寂しげな笑みが浮かんで消えた。
ふぅ、と息を吐くと幸鷹は視線を傍らの少女に転じる。

神子殿もまだ幼さの残る少女であったが、この方も劣らず幼くそしてなんと頼りなげなのだろう。以前に対峙した時にはもっと大人びて見えたのだが・・・。無理もない。京を救うために一命を賭したつもりが、アクラムに利用されていたと気づいたばかりだ。自分を支えていた何もかもが崩れ去ってしまったのだろう。

自分の顔を見つめながら何事か考えている幸鷹の様子に千歳は思わず俯いてしまった。危うく京を破壊しそうになった自分を責めるのではないかと恐れたのだ。しかし、聞こえてきたのは、思いがけず優しい言葉だった。
「千歳殿、どこもお怪我はございませんか?」
穏やかな声で問われ、顔を上げることもできず小さくかぶりを振った。
「ここにいる者はみな、あなたのお気持ち、あなたのなさろうとしたことをちゃんと理解しています。そのように恥じることはないのですよ。」
そっと顔を上げ辺りを見回すと、微笑む者、頷く者、表情は変わらないままじっと千歳を見つめる者、思い思いに同意を表している。ただ、勝真だけが二人に背を向けていた。

「千歳殿はこれからどうなさるのですか?」
幸鷹の問いに微かに顔を曇らせた千歳は、しばらく考えてから答えた。
「はい・・・。出来れば、平の邸に戻りたいのですが、両親を振り切って白河に参りましたので、許してもらえるかどうか・・・。」
「千歳、親父殿には俺が執り成してやるから心配するな。お前は堂々と家に帰ればいい。」
それまでそっぽを向いていた勝真がいきなり振り向くと、少し怒ったような口調で言った。顔を合わせずとも、ずっと話を聞いていたらしい。
「兄上・・・」
勝真が声を掛けてくれたことでやっと表情を和らげた千歳が兄に顔を向けると、勝真は照れたように視線を逸らしながら
「帰るぞ。」
と言って、さっさと歩き出そうとした。
「兄上、少しだけお時間をください。私は幸鷹様にお話ししたいことがあります。」
「あぁ、じゃぁ、あっちで待っててやるからな。」
何年か振りに兄妹らしい会話を交わした勝真の背を見送ると、千歳は、今度はまっすぐに幸鷹の目を見つめた。

「幸鷹様、白龍の神子から聞きました。・・・幼き日の私が、あなたを白龍の神子と同じ世界から呼んでしまったと。」
「そのようですね。」
「未熟な力を使ったために、あなたを巻き込んでしまい申し訳ないことをいたしました。謝って済むことではないことは承知いたしておりますが、それでもお詫びを申し上げずにはいられません。」
そこまで言うと千歳は唇をキュッと結び、深々と頭を下げた。

つい先刻まであれだけ頼りなげに見えた少女が、逸らすことなく自分の目を見つめ、はっきりと謝罪をする、その鮮やかな変わりように幸鷹は驚いた。しかし、花梨も頼りなく見えながら、いつも強い心を持っていたことを思い出し、やはりこの少女も龍神に選ばれた方なのだと、清々しい感動を覚えた。

「千歳殿、貴族の姫君が頭を下げるものではありませんよ。あなたが謝ることは何もないのです。きっとこれが私の運命だったのでしょう。あなたが呼ばなくても、私は八葉としてここにいたはずです。」
「・・・幸鷹様、ありがとうございます。そのように言っていただければ、私の気持ちも少しだけ軽くなるようです。」
ホッとしたのか、血の気が引いたような千歳の青白い頬にほんのりと赤みが戻った
「ところで、幸鷹様はあちらの世界にはお戻りにならないのですか?」
「えぇ。ここには私を育ててくれた家族もおりますし、やりがいのある仕事もあります。ここが私の居場所だと思っています。それに、私は考えてみたいのです。」
「考える?何をお考えになるのですか?」
「それは・・・。そうですね、いつかお話いたしましょう。あなたにも関係のあることですから。」
幸鷹はまるでいたずらを思いついた少年のように笑った。
「さ、兄上がお待ちですよ。参りましょう、千歳殿。」
物足りなさそうな顔をした千歳が、それでも素直に頷いて勝真の待つ場所へと向かう。
その少女の横を歩きながら幸鷹は思っていた。

千歳殿に呼ばれて応えたのが「私」であった意味を考えてみよう。
なぜ千歳殿の祈りが「私」に届いたのか。なぜ「私」は応えたのか。
必ず意味はあるはずだ。私が今ここに存在する意味が。千歳殿と私を結ぶ何かが。

幸鷹はまだ気づいていなかった。花梨を失った寂寥感が緩やかに薄らいでいることに。




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はなさまにサイト一周年祝いで頂きました。
幸鷹×千歳のカップリングも人気ありますねー
(しかし未だに千歳姫攻略が途中のまま力尽きている私は、いまのところこのカップリングを語る資格なし)
自分で幸鷹さんを書くと、相手はどうしても花梨ちゃんなので新鮮でした。

最後がすごく幸鷹さんらしい。責任感の強い彼のことだから、きっと千歳ちゃんを守ってくれるんでしょうね。
そして、花梨ちゃんと一緒に行ったのはあの方でしょうか?(^^)
はなさま、素敵なお話をどうもありがとうございました。