神子殿の手料理     はな様



ある秋の日のこと・・・


珍しく朝の鍛錬を早めに切り上げた頼久は、人目につかぬ庭の片隅の草の上に仰向けになり、今日一日の晴天を約束するような、雲一つない空をぼんやりと眺めていた。
普段の頼久ならば、鍛錬を終えればすぐにその日の務めに就くところであるが、最近、彼はいささか疲 れ気味であった。


というのも、頼久の父久義が、突然、左大臣家の武士団の棟梁を引退し頼久に跡目を継がせると宣言したからであった。
誰もが次期棟梁は頼久と信じて疑わなかったが、それもまだ数年先のことと思われていただけに、周囲の者も頼久も大いに慌てた。
だが、八葉としての務めをりっぱに成し遂げた息子こそが棟梁に相応しいという久義の意思は堅く、引継ぎの期間もそこそこにその地位を譲り受けたのが、ほんの1ヶ月ほど前のことである。
以来、部下の采配やら、邸内の各責任者との打ち合わせ、他の貴族の武士団との情報交換などなど、 慣れない棟梁としての仕事に目の回るような毎日を過ごしていた。
また、就任以来、祝いと称する酒宴も多々あり、昨日の夜は叔父の家に呼ばれ、少々飲みすぎてしまっ たようだ。




「頼久さん、こんなところで寝ちゃダメですよ。」
あかねの声に、頼久は文字通り飛び起きた。
「み、み、神子殿っ!!」
どうやらほんの僅かな間ではあるが、寝入ってしまったらしい。
あかねが近づく気配にすら気づかなかった。
めったに慌てることのない頼久が、顔を赤らめながら取り繕うように身なりを整え、起き抜けの顔を引き締めようとする様子に、あかねは笑いながら言う。
「やだ、頼久さん。私はもう龍神の神子じゃないんだから、あかねでいいですよ。」



京に残って友雅の妻となったあかねは、今は友雅の邸に住んでいるのだが、藤姫に会いにしょっちゅう 左大臣家にやってくる。
特に、「夫の出張」(友雅殿が警護の任で数日家を空けることを言うらしい)の時には必ずと言っていいほど、「お泊り」(方違えなどとは別の意味合いらしい)にやってくる。
今回も、3日前からこの邸に滞在していた。



「あかね殿、失礼いたしました。で、私に何かご用でしょうか。」
「ううん、朝のお散歩をしてたら、頼久さんが見えたからご挨拶しようと思っただけですよ。でも、頼久さんの寝顔を見られるなんて思わなかったな。うふっ♪」
最後の方は独り言のようにつぶやいたあかねの言葉に、頼久の顔にまた血が上った。
「あかね殿っっ、、、、おからかいになるのは止めてください。」(ぜいぜい)
「はーい、ごめんなさ〜い。」
あかねはペロッと舌を出して素直に謝った。









「ところで頼久さん、あの柿は食べられるんですか?」
すぐそばの柿の木には、赤く熟した柿がたわわに実っていて、まさに旬を迎えていた。
「とても甘くて美味しいですよ。お取りしましょうか?」
「はい。お料理に使うから、硬めのものを5個くらいお願いします。」


  お料理?殿上人の北の方ともあろう神子殿が、自らお料理もなさるのか?

自分の常識では計り知れないことを言うあかねに、頭の中に「?」マークをいっぱい飛ばしながらも、頼久はほどよい硬さのものを手際良くもいでやった。


「ありがとう。頼久さん。」
あかねはもぎたての柿を落とさないよう、大事に両手で抱えながら、嬉しそうに藤姫の対の屋に戻っていく。
その姿を見送りながら、あかねの手料理が食べられる友雅がちょっぴり羨ましいと思う頼久だった。




その日の夕方、一日の仕事を終えて邸内の武士溜まりに戻ると、頼久の部屋の前であかねが待っていた。
「あかね殿、こんなところまで。どうなさったのですか?ご用がおありになるのでしたら、お呼びくださればよろしいものを。」
「そんな、お呼び立てするほどのことじゃないからいいんですって。今朝取ってもらった柿で蒸パンを作ったから、頼久さんに食べてもらいたくて持ってきたんです。」
「私に?」
「そうですよ。だって、頼久さんのために作ったんだもの。柿はビタミンAとCが豊富で、疲労回復にいいんです。・・・・・な〜んて、知ったかぶりですけど、本当は詩紋くんが帰る前に、『あかねちゃんも少しくらいは料理をした方がいいよ』って、レシピを書いていってくれたんです。ここで手に入る材料で作れるお菓子ばかりなんですけどね。」
あかねは、エヘッっと笑う。


  むしぱん・・・、びたみんええ・・・、しい・・・、れし・・ぴ・・・・、
  分からない言葉だらけだが、神子殿がこの頼久のために料理をしてくださったのか。

頼久はいたく感動しながらカゴを受け取り、かぶせてあった布巾をそっとはずしてみる。
すると、ふわふわと柔らかそうな淡い柿色の「蒸パン」から、甘い香りの湯気がホワッと立ち上った。

「詩紋くんが教えてくれたのは人参を使うんですけど、頼久さん、最近お仕事が忙しくて、お疲れのようだったでしょ。だから、柿で作ったら少しは疲れが取れるかなって思ったんです。」

   それほどまでに私のことを気に掛けてくださっていたのか。(じぃぃぃ〜ん)

頼久はますます感動した。
「あかね殿、ありがとうございますっ。早速いただいてもよろしいでしょうか。」
「どうぞ、あったかいうちに食べてくださいね。あ、私、お茶を入れますから、一緒に食べましょう。」


生まれて初めて食べる柿蒸パンは、ふんわり柔らかく、それでいてもちっとした食感、ほのかな甘みと柿の風味が口の中に広がり、絶妙の味わいだった。
それに加えて、とうに封じてしまってはいたが、かつて想いを寄せたあかねが自分のために手ずから料 理をし、こうやって一緒に食べる幸せが、頼久の疲れを一度に吹き飛ばしてしまった。


「お味はどうですか?頼久さん。」
勢いよくバクバクと食べる頼久は
「はい、とても美味しいです。」
と即答する。あかねはニッコリと微笑んだ。



  よかった〜♪この時代の男の人の口にも合うか心配だったけど、頼久さんが
  こんなに喜んでくれるなら、友雅さんに作ってあげても大丈夫だよね。
  きっと美味しいって言ってくれるよね。

と、明日には京に戻ってくる夫に想いを馳せるあかねの無邪気な本心など露知らず、

  神子殿、ありがとうございます。このようにお優しい龍神の神子殿にお仕えしたことが、
  この頼久の何よりの誇りでございます。

と、胸の内で感謝する頼久。


ニコニコと微笑み合う二人は、何はともあれ、それぞれに幸せだった。


= 終 =





はなさまのサイト「小春日和」で頼久さんお誕生日記念フリー配布されていた作品を頂いてきました。
はなの創作は、とってもかわいらしくて、読んだあとにほっとする感じがして大好きなのです。
(ちなみに、柿の木の写真は自分で撮って来ましたが、加工が下手で美しくない…。ごめん、はな。)
はなさま、素敵な作品をありがとうございました。