名前なんていらない キィィ きしんだ音を立てて半分だけ開くドア。 こっそり中の様子をうかがうのは栗色の髪の少女。 いや、もう少女とは言えないかもしれない。 彼女は最近めっきり女王の風格を見につけ、大人の女性への階段を着実にあゆんでいるのだから。 「アリオス…いる?」 「ああ、いるぜ。そんなところからのぞいてないで、中に入ったらどうだ?」 「うん!」 部屋の主が窓枠に腰掛けているのを確認して、彼女は嬉々として部屋に入る。 どうやらアリオスは、窓の外を眺めていたようだった。 入るまでは遠慮している素振りの彼女だったが、入ってしまえば怖いものはないのか、勝手知ったる素振りで持参したお茶道具をいそいそと準備しはじめる。 女王陛下御自らお茶の支度をするなんて、どこぞの貴族出身の女王補佐官あたりが知ったら憤死寸前ものかもしれないが、ありがたいことに新宇宙の補佐官殿は結構話が通じたりする。 (ワタシはそういうことは気にしないケド、仕事はちゃんとやってね。ま、女王ったって息抜きは大切よね☆) 親友の口調を思い出すとつい顔がゆるんでしまう。 こうしてお付の者の目を盗んではここに来られるのも、有能な親友の働きあってこそともいえる。 しっかりものの彼女は、味方につければこういう面でも心強い。 もっとも抜け出されてしまう周囲の者たちにとってはいい迷惑なのだろうが。 「お前・・・そんな一日に何度もごきげん伺いに来なくてもいいんだぜ。俺はどこにも行くところがないんだから」 せわしなく動いている彼女を見るともなく見やっていたアリオスだが、皮肉な口調でお茶を入れている背中に向かって話し掛ける。 こういうことをいわれると、困ってうつむいてしまうのも当然計算済みなのだが、今日はちょっとばかり様子が違った。 何かを決意したように、手にしていたポットを下ろして彼女が振り返る。 「アリオス、あなたは自由よ。もしここにいるのが辛いのなら、いつでも旅立って構わないのよ。…もちろん、私は寂しいけれど、あなたを縛ってしまうのはもっと辛いから」 「おい、突然なに言い出すんだ?冗談に決まってるだろ?」 「私は本気よ。私にあなたを縛る権利なんてないわ。だから…」 「バカだな。お前はほんとに」 アリオスは腰掛ていた窓枠からやおら立ち上がった。 そのまま何もいえず立ち尽くしている彼女のほうに歩き出す。 「アリ…オス?」 「お前はほんとに不器用で、真っ直ぐで。ほんとに女王らしくないよな」 泣き出しそうな顔をしていた彼女だが、「女王らしくない」の一言に反応してキッと顔を上げる。 「ちょっと、それ、どーゆー意味?」 「ほめてるんだよ」 案の定、反応した彼女に苦笑しながら、アリオスはさらにゆっくりと一歩ずつ近づいていく。そして正面まで来たところで歩みをとめる。 「悪かったな」 いつになく真摯な表情で瞳を覗き込み、謝罪の言葉を告げるアリオスを見て、彼女にとまどいの表情が浮かぶ。 「泣きたいときはいつだって泣いていいんだ。泣いて笑って怒って。それがお前だろ?」「アリオス、どうしちゃったの…きゃっ!」 彼女の反問を封じるように片手で頭を自分の胸にさらうアリオス。 「いつだって俺の胸で泣かせてやる。約束しただろ?俺はお前だけのナイトなんだからな…俺の天使」 甘い言葉にかたくなな心も解かされ。 彼女は青年の胸に身を預け、コクリと頷いた…。 数日後。 バタン! きしんだ音を立てるまでもなく、勢いよく開くドア。 「アリオス!!」 「またお前か。毎日毎日懲りないな」 半ば呆れを含んだような口調で、アリオスは飛び込んでくる彼女を抱き止める。 腕の中でくすぐったそうな笑顔の彼女は、青年の顔を見上げた。 「懲りないわ。あなたが私のこと、『お前』って呼ばなくなる日まではね!」 この言葉にアリオスは絶句する。 「おい、お…」 お前、と続けようとして、それでは勝ち目がないことに気づいたのか。 「弱み握られたかもな」と小声でつぶやく。 「なあに?」 「いや、何でもねえよ…」 「名前、呼んでほしいな」 「…お前にはかなわねーよな」 苦笑。 彼女の名前がちゃんと呼ばれたかどうか。 それは耳元でささやかれた彼女だけが知る…。 (fin) |