恋人たちの楽園

次元の狭間に浮かぶ浮遊大陸アルカディア、約束の地。
今ここに新しいカップルが誕生しようとしていた。

「アンジェリーク、僕、君のことが好きだよ」
「マルセル様…私もです」
「ほんと、に?」
「私、さっきレイチェルにいわれてきたんです。誰かを愛せない人が、宇宙を愛せるはずがない。女王が恋愛したっていいじゃない、って」

一息にそこまでいうと、アンジェリークはうつむいた。
栗色の髪がぱさりと顔にかかり、彼女の表情を隠してしまう。
しかし緑の守護聖には、髪に隠れて見えないはずの、真っ赤に染まる彼女の頬が見えたような気がした。

「ほんとは、何もいわずに新宇宙に帰るつもりでした。マルセル様と私は暮らす世界が違う。私たちには使命があるのだから、と」

いつも明るいアンジェリークの表情が曇った。それだけで、なんだか太陽の光まで薄暗く感じる、と考え、マルセルは自分がいかにこの少女に捕らえられているのかを自覚する。
「でも!!」
「アンジェ・・・?」
「今、マルセル様のお言葉をきいて、私、とてもうれしかった。だから、勇気を出そうと思ったんです。マルセル様、私、マルセル様が大好きです」
「アンジェリーク!!」

マルセルは思わずアンジェリークを抱き締めた。
細い腰、白いうなじ、柔らかな髪。全部自分のものだ。マルセルはいとおしさを噛み締める。アンジェリークはうっとりと目を閉じている。

「ねぇ、キスしてもいい?」

彼女がかすかにうなずいたのを確認し、ゆっくりと顔を近づける。
最初はついばむような軽いくちづけ。そして深く。
「愛してる。いつか、必ず迎えに行くよ、君の宇宙へ」



そのころ、自称「超有能な補佐官」(但し、これはほかの人も認めるところである)レイチェルは、ロザリアたちになんと言い訳しようか考えていた。なんといっても女王執務室を飛び出してきたわけである。ジュリアスあたりに見つかれば、おこごとは間違いない。
(うーん、あの子のボケ倒したせりふじゃないけど、「おなか痛い」ってのはなかなか使えるかもしれないわね、ふふっ。そういえば…)

「アンジェリーク、うまくやってるかしら?」
思わず声にしてしまって、(やばっ、誰かにきかれちゃう!)とあせって辺りを見回したが、その時点ではもう遅かった。正面には、よく知った人物が一人。

「アンジェリークがどうかしたんですかー?」

木陰から現れたのは、温厚で知られる地の守護聖ルヴァであった。

「ルヴァ様!?どうしてこんなところに?」
「あなたを捜しに来たんですよ。エルンストがレイチェルは先に館に戻った、と教えてくれたのでね。それに…」

「今日で最後ですから。最後にあなたに会いたかったんですよ」
「ルヴァ様?」
ルヴァは意味ありげに言葉を切って、レイチェルを見つめた。
あまりに真摯で熱っぽい眼差しに、レイチェルは驚いた。
(確かにルヴァ様はいつも真面目だけど、こんなお顔は初めてだわ?)

「…まあ、後にしましょう」

まるで未練を断ち切るかのように、レイチェルから視線をそらすルヴァ。

「それより、アンジェリークはどうしたんですか?姿が見えないようですが」
「はい。今、マルセル様とお会いしてると思います」
「マルセルと?…そうですか、マルセルも立派に成長したんですねー。教育係としては幾分寂しいものですね」
「ルヴァ様!まさか、アンジェリークとマルセル様のこと、ご存知だったんですか?!」
「マルセルは、アンジェリークが好きなのでしょう?そして多分アンジェリークも。わかりますよ。はたで見ていればね。そうですねー、気づいていないのは、ランディとジュリアス、それにエルンストくらいじゃないでしょうかねぇ、ははは」
「ははは、ってルヴァ様、笑い事じゃないですよ。あの子はすっごく悩んで、傷ついて。ようやくさっき決心させたところなんですから」
「そうでしたか、あなたが。ありがとう。マルセルに代わってお礼をいいますよ」

ルヴァの瞳に一筋の暗い影が落ちた。

「マルセルには私のような思いはさせたくないですから」
「私のような思いって、どういうことですか?」
「はっ、いえなんでも・・・」

ごまかしかけたルヴァだったが、宇宙一有能で手厳しいと評判の補佐官の追及に敵うはずないとさっさと白旗を掲げることにした。

「いえ、なんでもない、なんてことはないですよね。わかりました。正直にお話しましょう」

その表情があまりに辛そうなのを見て、おもわずレイチェルは叫んでいた。

「あの!やっぱり、いいです!!」

しかし。ルヴァの答えは予想に反するものだった。
「いえ、聞いてください。あなたには、知っておいてもらったほうがいいことかもしれません」
「ルヴァさま」

「私は、以前女王候補だったアンジェリーク…陛下に振られているんです、情けない話ですがね」
「え、ええっ?」

一旦覚悟を決めたルヴァは、まるでなんでもないことのようにつらいはずの過去を語る。

「私のそばにいてほしい、私のものになってほしい、と願ったけれど、彼女はこういいました。『私もルヴァ様が好きです。でも私には大陸で私のことを待っててくれるみんながいるんです。彼らを失望させたくない。ルヴァ様のお手をとることはできません。そのかわり、私のことを助けてください、ルヴァさま。私一人ではできないことも、ロザリアや守護聖さまの力をあわせたらできるはずです!私はそのために全力をつくすつもりです』と。その言葉どおり、彼女は立派な女王になられました。しかし、私の恋はそこでおわった。彼女にとって守護聖とは、愛すべき宇宙と同義語であり、また万物に等しく愛を注ぐ存在である女王に、個人を愛すなどということはあってはならないことだったのですから」

ルヴァは見ている方がつらくなる笑顔で語り続ける。

「ですから、マルセルには私と同じ思いをさせたくなかったのです」

「そんなことがあったなんて…」
「守護聖でもほとんど知りませんよ。知っているのは陛下とロザリア、それにクラヴィス、オスカーくらいですかねー。ああ、ゼフェルはもしかしたらなにか気づいているかもしれませんが。ああみえて勘の鋭い子ですからね」
「オスカー様、ロザリア様ははともかく、なぜクラヴィス様なんですか?なんだか一番気づきそうにない感じがしますけど?」
「ふふ、彼の水晶球から逃れられる人は、この聖地にはいませんよー」
「あ、そうかぁ」
「わたしはね、レイチェル。今はこれでよかったと思っています。彼女の選択は正しかった。それはいまここにラガを倒し、こうして無事にいられることでも明らかですよね。それでも心のどこかで願ってしまっていたんです、マルセルたちがうまくいくことを。隠していてもマルセルの姿に自分を重ね合わせてしまっていたんですね」
「そんなの、あたりまえじゃないですか!だって、だって…」

さすがのレイチェルも言葉がつづかないようだった。

「レイチェル、人の話は最後まで聞くものですよ」

勢いあまって泣き出しそうな顔になってしまったレイチェルをやさしくなだめるルヴァ。そのルヴァの瞳に先ほどの熱のこもった眼差しが再び宿る。

「この話は、今まで自分から誰かに話したことは一度もありません。当然ですよね、全宇宙のトップスキャンダルになってしまいますし、取り立てて人に話すような種類の話ではないですから。けれどあなたに知っておいてほしいと思ってお話したのは、レイチェル」
ルヴァは言葉を切って、レイチェルの大きな瞳をじっと覗き込んだ。

「あなたが好きだからです」

「ほ、え?ええええええ!!!」

(ここまで動揺したレイチェルを見られる機会は、そうはないだろう)とルヴァは冷静に考える。既に自分自身はゆるぎない決意を抱いているので、動揺することもない。
(レイチェルがどう思おうと、私の心に変わりはないのだから)

「そんなに驚かないでください。意外でしたか?はぁ、やはりわたしはこのようなことに向いていないようです。気づいてもらえていると思っていたのは私の一人合点だったようですね。・・・失礼しました。気にしないでください。これは私個人のことですしね」
「え、ええと、あの、すみません!そういうつもりじゃないんです!驚いたのは確かですけど、それってぜんぜん嫌いとか、そういうのじゃなくて、えっとぉ・・・あああ、私なに言ってるんだろう?…ルヴァさま、私、とってもうれしいんです」
「レイチェル、それはー、もしかして?」
「はい。私もルヴァさまのコト…好きです!」

次の瞬間、レイチェルはルヴァの腕の中にいた。温和で活動的でないルヴァ(彼の教え子あたりにいわせると「ありゃ、ただとろいだけだぜ」という言葉が返ってくる)にとって快挙というべき行動であった。

「愛していますよ。いつか…いつか必ず迎えに行きます」
まどろむような幸福に包まれた恋人たちは、やさしい口づけを交わす。

アルカディア。そこは恋人たちの楽園。(完)


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